2021年 6月11日

予定されていた読書会が中止になって、なんか本でも買って読もうかと思って本屋に出かけた。まず水中書店で、平田俊子『スバらしいバス』を買った。この本のことは知らなかったし、平田俊子さんの名前も知らなかったが、都バス、関東バス、東急バス、小田急バスと様々なバスにまつわる道草のエッセイなんて(バス移動が好きな僕のような人間には)たまらないし、まずタイトルにニヤリとしてしまう。

 

次は新刊本でも、と南口の啓文堂に出かけた。買ったのは荒井裕樹さんの新刊『まとまらない言葉を生きる』。買って、三鷹駅のデッキを降りてすぐにある喫煙所の隣のベンチで読み始めた。読み始めてすぐに、「あ、これはちょっとすごすぎるな」と気が付いた。(半分まで読んだ)「まえがき」にこんな言葉がある。

 

「人と人が議論できたり、交渉できたりするのは、言葉そのものに「質」としての重みがあるからだ。でも、いまは言葉の一貫性や信頼性よりも、その場その場でマウントをとるほうが重要らしい。とりあえず、それさえできれば賢そうにも強そうにも見えるのだろう。」(荒井裕樹『まとまらない言葉を生きる』p8)

 

「まえがき」から荒井さんは、「質」としての重みをもたず、「壊れつつある」言葉(が溢れる社会)に警鐘を鳴らす。そしてそのような言葉と対照的に、この本の言葉はずっしりとした質感を持っている。なぜか。それは荒井さんが「自分の言葉」で語っているからに他ならない。賢しらな概念やキーワードはこの本には登場しない。この本の言葉からは荒井さんの実感を確かに感じることができる。それは「第六話」にかかれているエピソード―荒井さんは、伝説の運動家・横田弘さんと話をする際「君はどうするの?どうしたいの?」ときかれたという―と関係しているのだろう。

 

ちなみに、本の表紙は、スコップでどこかを掘り進める人々が描かれている。これは、きっと言葉というスコップをもって社会の問題を掘り進めていく(荒井さんを含む)僕たちだ。彼らは決してみんなで一緒に同じ場所を掘ってはいない。それは、「人それぞれ事情は違うから、掘り進めていく場所も違うんだ」ということを暗示しているのかもしれない。